2021年01月01日

HAPPY NEW YEAR 2021

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明けましておめでとうございます。
皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。


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写真は、ビリーボーイのジュエリー作品「シュールレアル・クチュール ハートブローチ」1980年コレクションより。
生命力溢れるイメージをお楽しみください。

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ビリーボーイのシュールレアル・ビジューのサイトは以下です。

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2020年09月10日

スミコ・ワタナベについて Surreal Bijoux - Mdvanii 27

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。

スミコ・ワタナベについて about Sumiko Watanabe

私の仕事への長年に渡る専念と献身、そして並みでないサポートをしてくれたスミコ・ワタナベ。彼女は、私の夫と息子を除いて、私を本当に理解する数少ない人々の一人であると感じている。
私たちは、商取引に結論を下すために数えきれない程沢山の激論を戦わせた。ララと私は、新しい創作コンセプトを得た時、毎回それを彼女に説明するが、彼女が納得できないときは大変だった。例えば、フランス革命後の18世紀末のファッション風俗「メルヴェィユーズ」をテーマにした木製の人形「マドモアゼル・リヴィエール」を作った時、私は彼女を納得させるために膨大な説明をしなければならなかった。彼女は最初、マドモアゼル・リヴィエールの特徴的なメーク、白い顔にまん丸く塗った真っ赤な頬紅に対して難色を示したのだ。彼女によれば、それは日本では品のない滑稽な印象を与えるメークに見えるからだと言う。この点について、私は、当時の薄暗い照明の下では白い顔や派手目な頬紅が映えること、そしてマドモアゼル・リヴィエールと共に発表した男性人形「ベネディクト」、彼らのファッションが当時のパンクであったこと等を話したとき、彼女はやっと全てを了解した。

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メルヴェィユーズをテーマにした木製の人形「マドモアゼル・リヴィエール」 
1994年 Photo (c) BillyBoy*

スミコ・ワタナベは日本に於いて、私たちのドール・クリエーションの全てを扱う独占的販売権を取得した。彼女が販売した作品の衣装には、薄紫色の布地にSW JAPANのロゴを刺繍したラベルが縫い付けられ、制作番号が書き入れられた。
又、彼女は、私たちの作品の展覧会を企画し、効果的にディスプレーするだけでなく、素晴らしい小冊子やパンフレットも制作した。それらは、日本語と英語で作品のエッセンスを説明するものであり、世界中の他の代理人たちには見られないクオリティーであった。
「ミドヴァニィ通信」と名付けられた小冊子は定期的に発行され、新作ミドヴァニィの紹介の他、写真や詩、エッセイ、そしてララによるマンガ等が掲載されていた。

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ミドヴァニィ通信No. 4 ~ No.11 (1991年〜1995年)
トップの写真はミドヴァニィ通信No.11 の表紙の部分。日本の打掛けを着たビリーボーイの肖像画。

又、スミコ・ワタナベは、ミドヴァニィ・ドールだけでなく、私の絵画も紹介し、販売した。そして彼女は、素晴らしい沢山のショーや展覧会を執り行う。アメイジングなブログもそうだ。それはミドヴァニィの全てと私について世界中のフォロワーに伝えるものであり、現在も続いている。

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未来の女性像や男性像を描いたビリーボーイの絵画。ウィルスがテーマに含まれているものもある。2001年


こうして彼女は何でもシェアできる私の親友の一人となっていった。
彼女の独特のインテリジェンス、彼女の原動力とユーモアは、いつも私に、私たちはかつて一つの存在だったのが半分ずつに分離した一種のソウルメイトのような、しかしそれはもっと深淵な友情の領域のものではないか、と思わせた。

日本では、一般的に、女性がビジネスにおいて活躍することは最近になるまで、あまり好まれなかった。そんな当時、彼女はビジネスにおいてハードワーカーであり、非常に完全主義者であった。それだからこそ、彼女は私の仕事に関して大きな成功を収めた。ララは彼女のことをしばしば「私自身の女性版」と呼んだ。
私たちは大変良く似ている。時折、お互い頑固になったときは、その酷さに殆ど差異がなく、もし誰かが、私たちを形而上学的に引き離そうとしたら、私たちのどちらかを曲げるためにカナトコを必要としたであろう程だ。
私は真の喜びと感じるのは、私たち二人が共に心の底から満足した時だ。それはずっと続いており、今や、40年近くになる。驚くべき友情だ。

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左から、パリから来た麗人、ララ、スミコ・ワタナベ、ビリーボーイ。 ローザンヌで開かれたミドヴァニィ展のオープニング・パーティーの夜 2006年

           

(渡辺純子 訳)
次回へ続く


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2020年01月29日

マイ・バタフライ・シスター Surreal Bijoux - Mdvanii 26

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI )より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」の翻訳です。

マイ・バタフライ・シスター my "Buttefly Sister"

私の仕事を広める為に大きく貢献してくれた最も重要な人々の一人であり、かけがえのない友人そして味方だったのが、日本のスミコ・ワタナベである。36年以上、彼女は日本において私とララの仕事に関する非常に洗練されたショーを行った。彼女はシュールレアル・ビジューと私のスキャパレッリ哲学を広めてくれ、成功した。彼女は、私たちのジュエリーのディストリビューターであった、西洋のデザイナー、大部分はフランスのデザイナーの作品を輸入販売する専門会社ソー・インターナショナルに協力し、作品の魅力を周りに紹介した。

その後、彼女は全てのミドヴァニィ作品を扱うようになり、それは日本で本当に素晴らしい成功をおさめる。彼女が企画した素晴らしいショーと日本での販売ほど、私たちの仕事が理解されたことは一度もなかった。ララと私は、いつも私たちの作品の魅惑的なプレゼンテーション(カタログ)に感動して見入ったものだ。それは、私たちの芸術的な製品、装飾品、人形、絵画、ドローイングなどの細部まで丁寧に見せるものであり、ショーの時はセンス良くディスプレーされ、ショーケースに入れられることはなかった。何故なら、日本では誰も盗んだりしないから。

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      東京・乃木坂で開催された「イーディ展」会場にて 1993年


スミコと私は最初から親しい間柄だった。私たちはお互いに愛情のこもった名前で呼び合った。彼女は私の「バタフライ・シスター」(蝶の姉さん)であり、私は彼女の「ドラゴンフライ・ブラザー」(トンボの弟)だ。私たちは更に、イーディッシュ語で「美しい」を意味する「シャナ shana」と顔を意味する「ピュニム punim」を使って、私は彼女を「シャナ」と呼び、彼女は私を「ピュニム」と呼ぶ。

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パリのビリーボーイ&ララの自宅にて。左の写真 ビリーボーイ 右の写真 スミコ・ワタナベ 1992年


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スイス・ローザンヌで開催された「ミドヴァニィ展」のオープニング・パーティーで。スキャパレッリ風の黒いドレスを着たビリーボーイ(右)とスミコ・ワタナベ(左) 2006年

(渡辺純子 訳)
次回へつづく

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2020年01月01日

A HAPPY NEW YEAR 2020

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新年あけましておめでとうございます。

皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたします。

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写真は、ビリーボーイのジュエリー作品「シュールレアル クチュール、ハート・ブローチ」1980年コレクション。
Surreal Couture, Heart brooch 1980 collection. Photo (c) BillyBoy*

真っ赤なハートから歓喜の鼓動が聞こえてきそうです。お正月に相応しいイメージかと思いアップしました。お楽しみください!


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2019年11月24日

ミドヴァニィのライバルは、まだ現れていない Surreal Bijoux - Mdvanii 25

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHIN FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。


ミドヴァニィのライバルは、まだ現れていない

ミドヴァニィと彼女の世界の14人のキャラクターたちは、当時の商業的な人形に極めて大きい影響ととてつもないインパクトを与えた。それは、今日に至ってさえも、生産される殆どのファッション・ドールに彼女の強い存在を誰もが見て取れる。最も商業的に成功している人形においてさえもである。
そうした人形たちは全て、パリジェンヌに見えるように意識して作られたかに見えた。パリ風の衣服、名前、小さな手袋、ターバン、シーム入りのストッキング、そして小さなカクテル・バッグ。しかし、それらは私がミドヴァニィをスタートさせた時のものに比べ、残念なことに、質の基準を欠いていた。彼らは実際、ミドヴァニィが生まれた時、存在するものではなかった。それら多くの人形たちは、ミドヴァニィがファッション・ドールのシーンに現れてから後、時には28年も後に、こうした制作理念をとらえようとした。

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「シャルルはとても気前が良かった」Charles etait trop genereux と題された、モンマルトルのサクレクール寺院を背景に立つミドヴァニィ。パリの香りが一杯である。1992年 Photo (c) BillyBoy*

彼女はまた、若いゲイの男たちが彼ら自身の職人的な人形を創作するという奇妙な新しいジャンルへインスピレーションを与えた。中には、彼ら自身の魅力的な特徴を持ったものもあったが、ミドヴァニィの"KAPOW" と同じ程になるようなものは何もなかった。
本当のライバルは、まだ作られていない。彼らは、私がミドヴァニィを作ったような要素を捉えていないと感じる。
私は時折ララに、「誰かがミドヴァニィに対抗できるような本当にオリジナルなファッション・ドールを作るのはいつだろうか?」と尋ねる。すると彼はいつも「それは、ずっと、ずっと先のことだろう」と答える。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

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2019年10月18日

ロフィシェル・ミドヴァニィ Surreal Bijoux - Mdvanii 24

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE sEARCHING FOR ELSA SCHIAPAARELLI)より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Sureal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。

ロフィシェル・ミドヴァニィ L'OFFICIEL MDVANII


1992年9月、ロフィシェル誌(L'OFFICIEL magazine) は、「常軌を逸したビリーボーイ」というタイトルを付けた16頁に渡るミドヴァニィの記事を掲載した。

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それは、私のファッション・コレクションとシュールレアル・ビジュー、そしてオートクチュール・ドレスを着たミドヴァニィ・ドールを特集したものであった。ミドヴァニィは「フレンチ・オートクチュールのマスコット」として紹介され、私がアンティーク・ドールの家具からデザインしたものとイギリスの職人によるカスタムメイドのチッペンデイルのリプロダクションのミニチュア・インテリアの前でポーズをとった。彼女のドレスには、ショーメやハリー・ウィンストンの高価なジュエリーがコーディネートされた。

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私たちは、この雑誌の為に限定版のミドヴァニィ・ドールを制作した。そして彼らは、このミドヴァニィの写真を表紙にしたロフィシェル誌のスペシャル・エディションまで作ってしまった。

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なお、記事の中には、占星術の星たちをモチーフにしたシュールレアル・ビジューをつけたアデリーヌ・アンドレのドレスを着たベッティーナの写真も含まれ、ベッティーナが私とララ、そして私の新しいトーテムであるミドヴァニィについて語ったことが囲み記事として掲載された。その内容は以下の通りである。

私がビリーボーイに会った時、彼は即座に私に興味を持った。彼は誰とも違う。先ず第一に、身体的に、彼は一風変わったキャラクターだ。彼は常軌を逸したような服を着ていた。いくつかのゼブラの長いペニスがついた。又、一方、挑戦的に見える格好も。ビリーボーイは完全に彼の風変わりさを是認している。彼は全てに先行する真のクリエーターだ。彼は最初にバロック・コスチューム・ジュエリーによって彼のスタイルを創出した。彼の創造的オリジナリティーは、ビックリするような知識と素晴らしいユーモアのセンスが背景にある。ビリーはバロックなインテリジェンスを持っていた。そして彼にとって何が好ましいかを見つける鋭敏な目を。それはレーダーのようだ。彼は偉大な研究者だ。たとえ、彼が自分の為に劇場のような宇宙を創造したとしても、そこで彼はでたらめな演技はしない。彼の度を越した熱情は、すぐに消滅する。なぜなら、彼は肉食獣のように熱情の対象物を即座に食い尽くすからだ。勿論、彼はデリケートで気まぐれ。しかし、彼は決して平凡ではない。ビリーは、人生を静かにさせ、背後の思い出の塊を選ぶという種類の精神の持ち主ではない。彼は変化を好み、それを言う勇気を持っている。

私の才能を誇張した、とても魅力的な記事であった。しかし、それは当時、パリが如何に作用していたかということである。インターネットはなく、只、旧式の報道のみがあった時代だ。
私の友人で「ゲイ作家」という言葉を作り出したエドモンド・ホワイトは、私が撮ったミドヴァニィの写真がフランス中のFNACギャラリーで3年間展示された時、素晴らしいテキストを書いてくれた。
又、私たちの友人ノーマン・メイラーは、単純に「私はあなたの素質が好きだ」との偉大な賛辞を述べた。彼の妻ノリス・チャーチは、当時、大規模なミドヴァニィ・コレクションを所持していた。しかし、彼らの死後、コレクションは情け容赦なく売られ、ある極めて珍しいゼドリック(黒人の男性人形)は、何とか私が買い戻すことができた。ジョン・バッファロー(ノーマン・メイラーの息子。1984年生まれ。作家、脚本家、俳優、プロデューサー、ジャーナリスト)への直筆の手紙は今も残っている。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

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2019年08月12日

スキャパレッリへのオマージュ Surreal Bijoux - Mdvanii (23)

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii ) の翻訳です。


スキャパレッリへのオマージュ Homage a Sciaparelli

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                 photo (c) BillyBoy* & Lala


最初期の限定版ミドヴァニィのひとつに「スキャパレッリへのオマージュ」( Homage a Schiaparelli) と題された作品がある。
ワイドなデラックス・ボックスに入って、彼女は唇の刺繍がポケットになった黒いスーツを着て、ハイヒールの形をした帽子を被っていた。又、ミニチュアのトロンプルイユ(だまし絵)のボウが付いたセーターを付属品として備えたバージョンもあった。
これらは25体の限定版として作られ、マン・レイの有名な「天文台の時間、恋人たち」と呼ばれる、大きな唇がミステリアスな雲間に浮かぶ絵のハンドペインティングによるミニチュア(ララによる)が付いていた。

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日本で販売された25体限定の「スキャパレッリへのオマージュ」1992年。2種類のバージョンがあった。Photo (c) Sumiko Watanabe


時代を超えて、スキャパレッリの多くのファッションや関連するものがミドヴァニィのスケールで再現された。
あるマドモアゼル・ミドヴァニィ(1997年に発表された身長約63cmという大型のポーセレン製ミドヴァニィ)は、Le Boeuf sur le Toit (屋根の上の牛)と呼ばれる有名なスキャパレッリのスーツのリプロダクションを着て、ダリからインスパイアーされたラム・チョップの刺繍とマッチしたラム・カツレツの帽子を被っている。

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             Photo (c) BillyBoy* & Lala

又、マドモアゼル・ミドヴァニィ「決して痩せ過ぎず、豊満過ぎない」という作品は、スキャパレッリの骸骨ドレスのリプロダクションを着たものだ。Le Fetiche de l'Attente (期待のフェティッシュ)は、ダリとスキャパレッリの別のコラボレーション作品であり、それは唇のスーツと帽子であった。
更に、マドモアゼル・ミドヴァニィの中には、1930年代のスキャパレッリのファブリックを使ったランジェリー・バックをパッチワークして作ったシースドレスを着たものさえもあった。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く

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2019年07月25日

ミドヴァニィ・ブティック Surreal Bijoux - Mdvanii (22)

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニイへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii ) の翻訳です。


ミドヴァニィ・ブティック

私たちは「ミドヴァニィ・ブティック」と名付けたスキャパレッリ風のギャラリーを、高級なアンティーク店やアートギャラリー、パコ・ラバンヌの店、有名なベーカリー等が立ち並ぶパリのシェルシェ・ミディ通りにオープンした。ドアにはショッキングピンクのグーン(私のシンボルであり、時間と空間を漂う私の魂の象徴)の形をした取っ手を付けた。そしてウィンドウの上にはアンリ・マチスの「奢侈、静けさ、そして快楽」という絵の題名を言い換えた「奢侈、人形、快楽」という文字をステンシル・プリントした。因みに、マチスのこの絵のタイトルであるが、それはシャルル・ボードレールの詩集「悪の華」の中の「旅への誘い」から来ている。

La, tout n'est qu'ordre et beaute,
Luxe, calme et volupte.

There, all is order and beauty,
Luxury, peace and pleasure.

そこにあるのは秩序と美、
奢侈と静けさと快楽。

ミドヴァニィ・ブティックは通りに面した部分にギャラリーとオフィス、そして奥に作業場を備えるという構造であった。ギャラリーは完全にショッキングピンク。大分昔にスキャパレッリの店から貰ったオールドストックのショッキングピンクのファブリックを天井の中心点から壁一面にドレープをつけて吊り下げ、まるでサーカスのテントのようにしてみせた。フランスの「ビッグ・トップ・サーカス」のように。そして勿論、それはスキャパレッリの1930年代の「サーカス」コレクションへのオマージュであった。
ショッキングピンクの花輪とバイオレット色のシルクの花が部屋の周り中に吊り下げられた。床はビビッドなショッキングピンクのウールのカーペットが敷かれ、そこには素敵なアトリエ・マルチーヌ家具の一組と、本物からインスパイアーされショッキングピンクに塗ったカスタムメードの家具等が置かれた。

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私は毎日、スキャパレッリの香水を吹きかけた。有名な「ショッキング」だけでなく、「スリーピング」、「S」、「フリッパント(軽薄な)」、「ズット(ちぇっ)」、そして珍しい1950年代から1960年代の「スィ(もし・・・・ならば)」や「スナフ(吸い込む)」さえも匂わせた。
そしてジュリエット・グレコが歌うアンリ・ソーゲ(フランスの作曲家 1901年〜1989年)の「スィ」を、スタッフの一人が「もう止めて欲しい」と言うまで一日中何度も繰り返しかけた。彼に私は、エンドレスに繰り返される「スィ」によって皆を洗脳することを試みているんだと説明した。彼はとりあえず私の言う事を疑わなかった。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く

Photo (c) Sumiko Watanabe

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2019年06月28日

恐ろしく高価な人形ミドヴァニィ Surreal Bijoux - Mdvanii (21)

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。


恐ろしく高価な人形ミドヴァニィ

ミドヴァニィは世間を驚かせた。彼女はそれまで存在した全ての人形とかけ離れていたからだ。アート界の人々も彼女を理解しなかった。そして人形玩具会社といえば、商業的な製造バージョンを求めた。

標準的なドールコレクターにとってミドヴァニィは恐ろしく高価であった。最初の限定シリーズは500ドル。そして個々にハンドメードで入念に仕上げた一点ものは3000ドル以上。しかし、程無く、人形界とアート界の多くの人々は、彼女の価値を理解するようになる。
                 
思えば、アート界の観衆は最初は少なかったが市場は急速に成長し、今日、そのコレクター数はドールコレクター数を上回る。そんな状況にも拘わらず、ミドヴァニィ・ファンの成長は速かった。彼女がハンドメード・ドールで非常に限定された種類であることを考慮されて・・・。時には、ミドヴァニィを予約したから受け取るまで何週間どころか、何か月も待たされることがあった。しかし、誰も文句を言わなかった。100人のクライアントの内2人を除いては。
こうしたこと全てが興奮であった。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く

トップの写真は一点ものミドヴァニィ。1990年頃。Photo (c) BillyBoy*

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2019年06月14日

ビリーボーイ& ララ、アート・バーゼルで注目 BILLYBOY* & LALA - FRAME art Fair 2019 at ART BASEL

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ビリーボーイとララのアート作品が、世界で最も有名なアート・イベントのひとつである「アート・バーゼル」ART BASEL (スイス)でFRAME Art Fair 2019 (6月8日〜16日まで)に出品され、注目を浴びています。
彼らの今回のテーマは「ジャングル・レッド、ミスター・モダン・インテリア Jungle Red* Mister Modern Interior 」と題された新しいミドヴァニィイズムを表現。過去から最近までのアート作品を全て赤のインスタレーションによって見せるというものであり、それらには、彫刻、工芸品、シルクスクリーン画、写真等が含まれており、全てが普通の赤い色で塗られています。
「赤は、今、パーフェクトだ。警告、生命力、革命、レッドカーペット、そしてベーシックな口紅の色だ。」とビリーボーイは言い、「赤は、私たちに人生は短く、そして貴重なものだと思い起こさせる。」とララは言っています。

彼らから送られてきた画像をご紹介しました。お楽しみください。

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写真左:ミドヴァニィとロギィ・ロギィの写真をシルクスクリーンに。写真中央:ミドヴァニィのマスクとミドヴァニイのパールのネックレスを人間サイズに変換したもの。"Fetch Me My Pearls" 写真右:アメリカ大陸の先住民ホピ族のカチーナ人形にインスパイアーされた木彫像作品。

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Photo (c) BILLYBOY* & LALA 2019.

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2019年06月09日

ミドヴァニィとクエ・メソッド Surreal Bijoux - Mdvanii (20)

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii ) の翻訳です。


ミドヴァニィとクエ・メソッド

ミステリアスなロシアの家系に由来し、聡明な教養あるヨーロッパ女性としてミドヴァニィは、その人形ボディの構造においては性器も表現され、暗示的にはバイセクシャルであった。彼女には恋人がいた。ボーイフレンドではない。彼女のお気に入りの作家は、マルセル・プルーストとフランソワーズ・サガン。

私は彼女の最初のカタログに、私の師であるダイアン・ヴリーランドによる1950年代と1960年代のフレンチ・ヴォーグに掲載されたファッションショーのレビューを呼び起こすユーモラスなタッチで説明文を書いた。そしてこのカタログには、1960年代のバービー・ブックレットのイラストで知られるアメリカのイラストレーター、クライド・スミスによるファッション・イラストを掲載した。クライドは何度かパリにやって来た。又、ベッティーナ・グラツィアーニは彼の為に有名なポーズを取り、モデルをした。そしてそれらはミドヴァニィにユニークなファッション・スピリットを与えた。

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カタログに掲載されたクライド・スミスによるミドヴァニィのファッション・イラスト。左は「社交界のレセプション」(RECEPTION MONDAINE) 右は「モナコ」(MONACO)
記事トップの写真は、「美しき侯爵夫人」(MARQUISE DES ANGES)


ベッティーナ・ベルジェリー(ビリーボーイの伯母でダリやスキャパレッリと親交のあったヨーロッパ社交界で知られた女性)は、ミドヴァニィに特別なエスプリを吹き込んだ。ミドヴァニィが語った多くの事柄は、ベッティーナ・ベルジェリーがララと私にした会話から引用したものが多い。アイロニーとシュールレアリスト的なしゃべり方、そして「キャンプ」を愛した洗練されたファッションの陰の女王であったが、彼女は才気溢れる教養の高い女性であり、芸術と文化に関する膨大な知識を持っていた。

ベッティーナ・ベルジェリーのようにミドヴァニィは「クエ・メソッド」と呼ばれるフランスの心理学者で薬剤師エミール・クエ Emile Coue(1857-1926) が考案した哲学を完全に信奉していた。クエは28歳の時、アンブロワーズ=オーギュスト・リエボー Ambroise- August Liebaut (1823- 1904 フランスの医師、催眠研究家)と出会い、2年間ナンシーにあるリエボー医師の催眠クリニックでアシスタントを務めた。そして1901年まで、クエは催眠手ほどきのテクニックを利用していたが、1910年までにクエは古典的な催眠術を捨てて、彼自身が考案したテクニックに専念する。彼のテクニックとは、「貴方は良くなっている」という言語で表現する不変の注意を自分自身に与えることであった。因みに、彼の一般的意図の決まり文句は「毎日、毎日、私はより良くなっている」というフレーズだった。これを毎晩、少なくとも20回繰り返す。目を閉じて、変化のない暗示、人が眠りに落ちる前にリラックスするように。クエは、インドのマントラ・ヨガの実践と同じように、反復を数えるためにロザリオを使うことさえも示唆した。しかしながら、彼はそつなく、但し書きの警告を付け加えていた。「貴方が好きなだけ沢山唱えなさい。只、それが妄念になってはいけない」と。

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ビリーボーイと伯母ベッティーナ・ベルジェリー 1980年代 Photo (C) BillyBoy*

二人のベッティーナとララと私、そして我々は、ミドヴァニィが日々この儀式を行うことをイメージした。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く

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2019年04月29日

ミドヴァニィのポートレート by ルネ・グリュオー Surreal Bijoux - Mdvanii 19

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。


ミドヴァニィのポートレート by ルネ・グリュオー

フランスの伝説的ファッション・イラストレーター、ルネ・グリュオー(1910年〜2004年 ディオール、ジバンシー等の広告で有名)が、ミドヴァニィのポートレートを描いた(トップの写真)。私たちは彼女の全てのパッケージに、このグリュオーによるアートワークを使用する。又、彼女のウィッグは、当時パリ美容界の大御所であったアレクサンドル・ド・パリがデザインしたものであった。ミドヴァニィの箱には、アレクサンドル・ド・パリの為にジャン・コクトーが1960年代に描いたイラスト(下の写真)がプリントされている。

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ミドヴァニィのワードローブに関して、私は高い基準を持っていた。そしてそれは、私が満足できるクオリティーに達するまで何度も試作を繰り返した。人間の着るオートクチュールドレスをミドヴァニィ・サイズに縮小するという冒険は、フランスのアーティストと腕の良い職人たちにとってさえも困難を極めたチャレンジであった。彼らは皆、それはあまりにも小さ過ぎると言った。しかし最終的に夢は実現したのである。
パーフェクトにフィットしたジャケット、総裏付きの衣服(袖やパンツも含む)、そしてシーム入りのストッキングさえも、まさにオートクチュール衣服のように布地のラベルが付き、各々に手書きのナンバーが入れられた。

にこやかに笑うバービーとは違って、ミドヴァニィは笑わない。彼女は完全によそよそしく見え、内省的で、どことなく倦怠感を漂わせているシックな女性たちの仲間であった。私は最終的に、私が常に望んでいた陰陽のセルフポートレート、アンチ・ブルジョア(中産階級の俗物的な平凡で保守的なものとは相反する)イメージを完成させた。

ミドヴァニィは多くのゲイ男性に支持され購入されたが、おかしなことに、私に手紙をよこしたり、電話を掛けてきたり、私のプライバシーを侵害するような者は誰一人いなかった。彼らは皆、只、ミドヴァニィだけの身元を明らかにしようとするかのように見えた。なぜなら、彼らは彼女になりたかったからだ。全てのゲイ男性のヒロイン、ガルボとディートリッヒからラナ・ターナーとエヴァ・ガードナーまでの足跡を信奉するように。そして彼らの中の何人かは、彼らの人形を作ることを企てたり、しばしばくだらないディーバや又は単純にミドヴァニィのイミテーションだったりしたが・・・・・・。それはメジャーな玩具会社でさえも、このような真似をしたのだった。更にある者たちは、ミドヴァニイの型取りをしただけの安っぽいフェイクを作った。誰もが如何にフェイクを望むのか!私を超えて。

なお、ミドヴァニィ現象の良い面においては、多くの男たち(大抵はゲイ)が、そして時折は女性たちが、大きな商業的な会社の為にドールデザインという仕事をするようになって行った。そして全体的なファッションドールのクオリティーは改善され、それは以後ずっと続いている。

ララはよく私と共に世界中のトイストアへ行ったものだった。そして、ミドヴァニイにインスパイアーされた箱に入った人形たちを見て、言ったものだ。「見てごらんよ。彼女はベーシックな黒いドレスを着て、手袋をはめ、ストッキングをはいている。この人形は『有難う、ミドヴァニィさん』と言うべきだ。
その後ずっと何年もの間、多くの人々が私に、ミドヴァニィがどれほどドールデザインをする人々や彼らの人形、そして彼らのキャリアの選択に影響を与えたかと話してくれた。それらの中には私と仲が良いドールデザイナーたちもいて、彼らは私に彼らのストーリーを語る。それは誠実でチャーミングだ。そして私は、ミドヴァニィがドールゲーム全体に何かをもたらしたことを知って楽しく思う。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く


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2019年03月04日

夢に現れたミドヴァニィのイメージ Surreal Bijoux - Mdvanii 18

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ビリーボーイによる自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」( FROCKING LIFE SEACHING FOR ELSA SCHIAPARELLI ) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」( Surreal Bijoux - Mdvanii ) の翻訳です。


夢に現れたミドヴァニィのイメージ

日本とヨーロッパの私たちの代理人たちをイライラさせたが、私はララの完全なるサポートにより、シュールレアル。ビジューを休業状態にした。そして私は、熱烈に新しいプロジェクトの中に飛び込んだ。

ある晩見た夢が私の脳裏に新しい人形のヴィジョンをもたらした。彼女は、私の母の若かりし日の美しい姿をベースにしていたが、それと同時に、又、社交界の花形であった二人のベッティーナのイメージにも由っていた。
彼女はオートクチュールを着せられた本物のパリジェンヌだった。私たちは彼女にMdvanii (ミドヴァニィと発音する)と命名する。それは、1920年代のロシアの貴族女性であり、私の伯母ベッティーナ・ベルジェリーの親友であった Roussia Mdivani (ルシア・ミディヴァニィ)に因んでいた。このミディヴァニィであるが、スキャパレッリのドレスをまとい、画家ホセ・マリア・セールのミューズとして知られた女性。彼女は、彼を彼の有名な妻であったミシア(アールデコ時代のアーティストたちを支援したパトロネスとして有名だった)から奪い取った。そしてその後、ミシアはライン川で溺死したと伝えられる。それは魅惑的なまでに悲劇的なことであった。

ミドヴァニィは、1986年の初め頃に私の夢(本当にベッドで眠っている時)の中にやって来たのだ。私は彼女のインスピレーションが、はるか宇宙の彼方、何か深淵なメッセージを送っているラニアケア超銀河星団、又はペルセウスうお座超銀河星団から来たものだと思う。私は、この人形をやらなければならない。この思いが私を圧倒した。そして私は、そのコンセプトと彼女の創作に引き寄せられて行った。製造面での恐ろしい程の困難さや、コストの大きな問題にもかかわらず、私の気持ちに迷いはなかった。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

写真は、ミドヴァニィの名前の元であったロシアの貴族女性ルシア・ミディヴァニィ。1986年8月ザ・スペースにて開催された「'30年代パリ・モード展」の図録に掲載されたものを転載。

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2019年01月23日

バービー・イベントが成功して Surreal Bijux - Mdvanii 17

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    ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」( FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」( Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。


バービー・イベントが成功して・・・・・・

シュールレアル・ビジューに関する活動のかたわら、私は又、私の仕事がターニングポイントを迎えたことを知った。
1988年、私のバービー・ブックがベストセラーとなり、数か国語に翻訳されて出版される。

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ビリーボーイ著のバービー・ブック " BARBIE HER LIFE & TIMES" 英語版

         
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          日本語版

又、「ビリーボーイ・ヌーボー・テアトル・ド・ラ・モードとバービー・レトロスペクティブ」と題されたイベント(パリの有名ファッション・デザイナー等がデザインしたドレスをまとったバービー・ドールと年代物のバービー、合わせて約300体を特別列車に乗せて各地を巡回するというもの。全てビリーボーイのバービー・ドール・コレクション)は、フランスとアメリカへツアーし、大成功を収めた。そして、プレスで大きく取り上げられ、又、クレージーなバービー・コレクターの放火犯が、私の1970年代のヴィンテージ・バービーが入った沢山の木箱を焼こうとトラックに満載したという様なくだらない出来事も起こった。

私は、2体の新しいスタイルのバービーをデザインし、それらは大成功した。それは人形史上初めて、デザイナーの名前が人形の箱に記されたものであった。(トップの写真を参照ください)

又、アンディ・ウォーホルは、ポップ・カルチャー・ドール・バージョンとしての私のポートレートを創作した。

こうしたワクワクするような状況にあったが、私の心からはバービーの魅力と興奮が徐々に消えて行く。
私の人形への執念に関する全ての事は世界的に成功したけれども、私は何か新しいものを創作したくなったのだ。私自身の人形、私自身の世界に対するヴィジョンを詰め込んだような何かを。私は、完全に新しく、そして大胆な(リスクがあってさえも)コンセプトをエンビジョンした。それは子供のおもちゃとは無縁の、完全に贅沢で、アーティスティックな大人の為のファッション・ドールを作りたいと思った。

(渡辺純子 訳)

次回へ続く。

トップの写真は、デザインしたバービーを手にしたビリーボーイ。1987年ころ。
Photo (C) 2019 BillyBoy* & Lala. All rights reserved.

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2019年01月06日

コピーの出現とビジネスの曲がり角 Surreal Bijoux - Mdvanii (16)

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。


コピーの出現とビジネスの曲がり角

当時のパリで、もし貴方がファッション・デザイナーだとしたら、その成功の如何はセンティア地区(パリ2区にあり、歴史的に織物や衣料品製造の地区として知られる)で貴方のデザインがコピーされるかどうかで分かった。ここは一連の商業的な製造、大掛かりなスケールの既製服生産のオフィスがある場所であり、かつてスキャパレッリの店の職人だった人たちの多くが当時働いていた。センティエは、販売を成功させる可能性のあるいかなるものでも迅速に製造できる能力があることで知られていた。そこには多くのワークショップがあり、中国製というものは何もなかった。
シュールレアル・ビジューのデザインは、そこで容赦なくコピーされた。見かけはそっくりだが、味わいの薄められたオリジナルの猿真似の安っぽいマスプロダクションだった。私たちのデザインはコピーされる程、褒められ成功しているのだろうけど、私を常にムカつかせた。

全てがクリエイティブでなく、面白くない時期がしばらく続いた。それから私は、組織化された本物のビジネスをセットアップする方法を考えるようになった。私は真剣に新しいやり方を模索し、全てに挑戦した。しかし、それは巨大な学習曲線であった。もちろん、どんなビジネスにおいても常に沢山の仕事、又しばしば非常にうんざりするような作業、そして解決せねばならない多種の問題がある。私の父の言葉が、仕事と創作のこの新しい方法を探る初期の時代に、しばしば蘇ってきた。

この頃、シュールレアル・ビジューは日本で極めて成功し、注文が増えて行った。そしてそれらは私たちのアトリエで作られ、そこから出荷された。

話は変わるが、私たちのデザインを紹介するためのプレスの要望はとても印象的だった。ヴォーグやエル、マリークレールで働く女性たちは、何の事前通告もなしで、撮影の為の作品を選びにアトリエへやって来た。また他のプレスは、ただ電話してきて「ハイ!私たちは海をテーマにしたことをやっているの。ブルーのジュエリーが必要だわ。あっ、それから白いのもね。今日の午後届けてくれない?」といった勝手なことを言ってきた。ジュエリー創作において、最もフラストレーションを与えられる要素の一つは、全ての時間にそれらをいかに見せられるかを私がコントロールできないと分かることだった。
雑誌に掲載されたジュエリー作品はぼやけた色合いで、モデルの髪型や帽子の陰で目立たなかったり、また、時々、それらはショッピングバッグに放り投げられたり、私たちが包んだシルクペーパーがぞんざいに捨てられたりもした。こうしたことに対し、ララの激怒が終わることはなかった。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

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2018年11月24日

アブソリュート・ビリーボーイ Surreal Bijoux - Mdvanii (15)

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」( FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI ) より第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」( Surreal Bijoux - Mdvanii ) の翻訳です。


アブソリュート・ビリーボーイ

この時代のアンディ・ウォーホルは、スウェーデンのウォッカ会社の為に「アブソリュート・ウォーホル」と呼ばれた斬新な広告キャンペーンを行った。この会社のヘッドであるミッシェル・ルーは、アートを愛し、アーティスト等と連携した何かをしたいと構想を練っていた感じの良い、やる気満々の男であった。そしてそれに着手する。
アンディ・ウォーホルに続いて、キース・ヘリング、私自身、ケニー・シャーク、そしてディヴィド・キャメロンが関わった。これら5人が、このキャンペーンを行った最初のアーティスト達であった。そしてそれは、その後、何百人という人々との連携によって引き継がれ、今や伝説的になっている「アブソリュート何々」の元であったのだ。

私が、このキャンペーンに参加するために作ったものは「アブソリュート・ビリーボーイ」と呼ばれ、それは、アブソリュート・ウォッカ・マティーニを飲んだ男が、魅惑的な女性にクラクラして倒れそうになっている姿を漫画風に描いたドローイングをプリントしたシルクのスカーフであった。このスカーフは、エルメスのスカーフが作られるのと全く同じ製造方法で作られ、トップ・クオリティーの完全なるフランス製。当時においては、かなり珍しかった。

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そして、スカーフに描かれたテーブルの上にジュエリーを置いた。するとそれは、ある種、ダダイストが作ったかのごとく様式化されたカクテル・トレイになった。この金色に塗ったメタル製のトレイの上には、アブソリュートのボトルとカクテルグラス。ボトルも金メッキされ、表面に「アブソリュート」の名を伝統的なガラス工芸技法である「パートドヴェール」によって表し、価値を高めた。そしてダイアモンドとルビーとラインストーンによるアクセントが付けられたボトルの注ぐ口から漫画風の矢が、完全に金メッキされたメタル製のカクテルグラスの中に向けられていた。更に、このカクテルグラスには漫画風のオリーブと爪楊枝も付けた。沢山のこれらが作られ、スカーフと共に、ニューヨークのビジネス界とアート界で活躍する重要な女性たちに贈られた。なお、ミスター・ルー自身は金メッキのものではなく、フランスの極印が付いた最も真正なジュエリーの伝統流儀で作られた金色のバージョンをオーダーしてくれた。それは私たちにとって大した成功であった。

私たちは全てをやり遂げ、そして怪しげな「アブソリュート・ウォッカ賞」なるものを受賞した。この体験全体が、かなりシュールレアリスティックだったと言える。

なお、後日、ミスター・ルーはパリにやって来て、沢山の私のアートワークとミドヴァニィとコスチューム・ジュエリーを購入した。

(渡辺純子 訳)

次回へ続く。


写真は、アブソリュート・ビリーボーイのスカーフ
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2018年10月24日

バーニーズでセーフセックス・コレクション Surreal Bijoux - Mdvanii 14

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEACHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - mdvanii) の翻訳です。


ニューヨーク・バーニーズでセーフセックス・コレクション

私たちの思い出の中には、ニューヨークのバーニーズで行われた記憶すべき、かなり可笑しなショーがあった。
私は、この店の為に何かを創作しようという気になれなかった。なぜなら、この店自体は、当時、豪華で魅力に満ちたものだったが、そのファッション販売センスにおいて、私には受け入れられないものがあったのだ。それは、当時の商業を見る私の持前の感覚であった。当時20代だった私の心の奥底に、多分、一人のツァリナ(ロシアの皇后の意味)が住んでいて、彼女が商業と商業主義に反応したであろうことに似たリアクションをしたのだと思う。

只唯一、私がこの店のショーを行うことに耐えられる何かが、本当にやりたいと思ったことが、心に降りてきた。それは、陽気で社会的なメッセージを持つセーフセックスに関連したコレクションを創作するということだった。私は、それを「セーフセックス・コレクション」と呼んだ。そしてそれは、1970年代のモチーフにおいて、様々な生殖器で構成されたトーテムから成り立っていた。ニコニコした顔、ソーダ・ポップ・ボトル、カラフルな乳首、そして精液が滴っている様にパールの雫が付いたペニスのネックレス・・・・・・・・。それらは、私とララの血のミックス、私の汗、そして少しばかりの涙を混入したシュールレアル・ビジュー独自の秘密のレジン製法により形作られ、本物のチャイニーズ・ラッカーでひたすら手塗りしたものだった。又、融かしたカランダッシュ・クレヨンとバラの樹液も使った。「エイリアンが生命を祝い、世界を救う」というのが、このコレクションに頻発するテーマであった。

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作品は、土、ワックス、穀物の粒、そしてお香の上に展示した。面白かったのは、土がガラスケースの中で凝結を起こし、それによって全ての作品が、あたかもロンドンの深い霧の中で罠に捕えられたように見えたことだった。これは狙ったわけではなかったが、完璧にシュールはことが発生していた。

私は、このイベントのオープニングの10分前になるまで、バーニーズの誰にもこのコレクションやディスプレーを見ることを許さなかった。そして彼らが、ついにそれらを見た時、誰かがショックのあまり、彼らは彼らの仕事を失うだろうと叫んだ!最後の瞬間、ララと私は、あまりにもこのコレクションを愛し過ぎてしまい、ここで何でも売らせるわけには行かないと決断した。それはこの店のオーナーを大いに憤慨させた。

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私たちは、この作品たちをつい最近までキープしていて、唯一、2〜3個をパリのオークションで売った。それらは、センセーショナルなコレクターであり、今や友人でもありバーバラ・ベルガーが所有している。

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バーバラ・ベルガーのファッション・ジュエリー・コレクションの本


(渡辺純子 訳)

次回へ続く。


写真は最後のもの以外全てSAFE SEX Collection 1988 より
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2018年10月02日

アートフェア・バーゼルのビリーボーイとララ(補足) BillyBoy* & Lala at FRAME, ART BASEL 2018 bis

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当ブログ7月の記事「アートフェア・バーゼルのビリーボーイとララ」の補足です。
下記のリンクにて、このイベントのビデオがご覧いただけます。
リンクの" WeTransfer" のDown Road ボタンをクリックしてください。
ビリーボーイとララを含む多くのアーティストたちの作品とインタビューを楽しめます。
なお、ご覧いただけるのは期間限定で、10月4日(木)頃までとのことです。

https://we.tl/t-t0J1TaV0dL

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2018年09月23日

ペレストロイカ幕開けのロシアへ招かれて  Surreal Bijoux - Mdvanii 13

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」( FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」( Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。



ペレストロイカ幕開けのロシアへ招かれて

「マン・オブ・ザ・イヤー1986」に選ばれてから程無く、ララと私は駐ロシア(当時はソビエト連邦」の英国大使を両親に持つ友人のフィオーナ・カートレッジによって、ペレストロイカ幕開け時代のモスクワへ招待された。そこでは私の展示会が開催され、私の仕事やアバンギャルドの歴史と革新的なコスチューム・ジュエリーについて、そして私にとって最も大事なスキャパレッリに関する一連のレクチャーをすることを要請された。殆ど全ての国の大使夫人たちが、このイベントに来てくださり、その後(意図的にではなく)、会場はシュールレアル・ビジュー・タッパーウェア・パーティーとなった。

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写真は、CITE INTERDITE (Forbidden City) 「紫禁城」と名付けられた重要なネックレス。1986年
Photo (c) 2018 BillyBoy* & Lala. All rights reserved.


更に当地では、驚くべき素敵な冒険もした。それはミセス・ザッチャーのロールスロイス(当時、ロシアではたた1台しか存在しなかった)に乗って、一般客が入れないように閉館されたミュージアムへ行ったことである。その時、私は1930年代のスキャパレッリの麻のサファリ・アンサンブルを着ていた。これはスキャパレッリによる数少ないメンズ・アンサンブルの一つであり、私がコレクションとして所有していたものだった。

又、私たちは当時のモスクワで唯一のオートクチュリエであったツェイセヴ氏に紹介された。私は彼にショッキング・ド・スキャパレッリのボトルをプレゼントし、そして彼のドレスを数着購入し、私のコレクションに収集した。因みに、私のコレクションには、私が英国で会った最も華麗で魅惑的なパーソナリティーの一人である素敵なレディ・カートレッジから貰ったいくつかのものも含んでいた。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く。


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2018年08月20日

マン・オブ・ザ・イヤー1986に選ばれて Surreal Bijoux - Mdvanii 12

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」 (Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。


「マン・オブ・ザ・イヤー1986」に選ばれて

二人のベッティーナたち(伝説のモデル、ベッティーナ・グラツィアーニと、ビリーボーイの伯母でダリやスキャパレッリと親交があったというベッティーナ・ベルジュリー)が、私のジュエリーのプロモートを手助けしてくれたが、ニューヨークに於ける最初の成功はベッティーナ・グラツィアーニのお陰であった。
ある日、彼女は私のジュエリーを身に飾って、ヘンリー・ベンデル(ニューヨークの高級ファッション店)の社長であったジェラルディーヌ・シュトッツとランチへ行った。するとジェラルディーヌは、ベッティーナが付けていたジュエリーに興奮して、100個を彼女の店の為に注文した。何と、彼女たちはランチの最中に直接、私に電話してきたのだ。彼女たちは幾分頑固に要求してきたが、それはとても心地良く、チャーミングであった。どうして断れようか?その結果、ララと私に大きな仕事が舞い込んだ。そして、ベンデルズでのファースト・コレクションは一日で完売する。
作品はプラスターで形を作り、ターコイズ色、フューシャ、ヘリオトロープ、そしてサフラン色のデリケートな色合いで手塗りし、切子面仕上げのクリスタル・ストーンやカボション、シルバー、金色塗料で塗られたチェーンやホイルと組み合わせた。

ララと私は又、エマニュエル・ウンガロ、ティエリー・ミュグレー、ベルナルド・ペリス、ハナエ・モリ、フランセスコ・スマルト、シャルル・ジョルダン、その他多くの異なる国々やデザイナーの為にジュエリーを制作した。
シュールレアル・ビジューは、フランス、アメリカ、日本、イギリス、イタリア、ドイツ、そしてスカンディナヴィアの最もファッショナブルなショップで売られた。それらは、当時の殆どのコスチューム・ジュエリーより高価であった。なお、又、南アメリカの至る所やロシアでも売られた。

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フランスのファッション誌ELLE に掲載された記事 1985年


1986年、イギリスの新聞「オブザーバー」のファッション編集者が、私を「マン・オブ・ザ・イヤー」に選出した。これに付随した記事で、ヴィヴィアンヌ・ベッカーは私のジュエリーを「非常に自由な、そして抵抗できない程面白い」、更に「人生より深く、無邪気で、エキセントリックな、反抗的な」と表現した。私はこの出来事にひどく驚かされ、部分的には光栄に思った。というのは、記事の言い回しから、私は一時的にだが、この年のマンとウーマンの両方の名誉を授かったと思ったからだ。
この賞賛を得たことから、私はイギリスで最もスタイリッシュで優雅な女性の一人であるレディ・ダイアナ・クーパーの会社の仕事に従事させられた。因みに、彼女はヴォーグの寄稿者であり、スキャパレッリの服を着ていた。

私のジュエリーは更に、当時、ニューヨークに於いて気鋭のファッション・ジャーナリストであったジョン・デュークによってニューヨーク・タイムズに歓迎された。彼は常に私の作品を支持してくれていたけれども、私のジュエリーを「とても革新的な」と呼んでくれた彼の嬉しがらせには、本当に驚いた。

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上の写真左 COSMOS 「コスモス」と名付けられたブローチ 1985年
右 UNFOLDING HEART 「広がる心臓」と名付けられたブローチ 1984年


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上の写真左 SCARAB 「スカラベ」と名付けられたブローチ 1986年
右 BIARRITZ 「ビアリッツ」と名付けられたチョーカー・ネックレス 1985年


私の成功は、スキャパレッリの強烈なインスピレーションとスピリチュアル・ガイダンスのお陰であったと感じている。私は常に、私の作品へのポジティブなリアクションに驚かされたが、それはララと仕事をスタートさせた時の驚きよりは小さい。
何はともあれ、私のジュエリーは、あたかも、スキャパレッリがそれらに彼女のウィットや軽やかな楽しみ、華やかさを吹き込んでくれたかのように見えた。
(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

トップの写真は、CAILLOU 「小石」と名付けられたブローチ 1983年〜1984年

写真は全て
Photo (C) 2018 BillyBoy* and Lala. All rights reserved.

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ビリーボーイのシュールレアル・ビジューについては以下のサイトでご覧になれます。

http://www.mdvanii.ch/en/article/surreal-bijoux-en

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2018年07月05日

アートフェア・バーゼルのビリーボーイとララ BillyBoy* & Lala at FRAME, ART FAIR BASEL 2018

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スイス北西部の都市バーゼルで毎年6月に開催される世界最大級の現代アートフェアとして知られる「アート・バーゼル」。その会場のすぐ近くに位置する"FRAME" と呼ばれる新しいアートスペースに於いて、ビリーボーイとララのアート作品が6月10日から17日まで展示され、大きな成功を収めました。

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Photo BillyBoy* & Lala (C) 2018. Model Tiago Gigon

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会場で取材を受けるビリーボーイとララ。彼らの後ろに写っているのが彼らのアート作品。 
Photo BillyBoy* & Lala (C) 2018.

ミドヴァニィの公式サイトにも記事が掲載されています。
            ↓
http://www.mdvanii.ch/en/news/

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2018年05月26日

シュールレアル・ビジューを愛したセレブたち Surreal Bijoux - Mdvanii 11

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。

シュールレアル・ビジューを愛したセレブたち


バイヤー、コレクター、友人、物好き、の面々が直接、私たちの仕事場へやって来た。
ローレン・バコールが立ち寄り、10個のジュエリーを選び、独特の声で「支払いはどうよ?」と聞いた。そして彼女は、いつもすんなりと支払った。
エリザベス・テイラーがやって来た時、私たちは王族をもてなしているような緊張感かあ逃れることができなかったが、大いに笑いあったものだった。
ベッティーナ・グラツィアーニは、買って買って買いまくった。そして又、彼女は、それらのシュールレアル・ビジューを様々な機会を利用して世の中へ提出した。例えば、骨コレクションの中のひとつであるブレスレット作品は、ロンドンのクリスティーズのオークションに出品され、約7,000ポンドで売られた。
ムバラク・エル・サバ王子は、彼の側近たちとやって来て、トラック1台分のジュエリーを買った。本当に全てのジュッリーを買ったのだ。彼は非常に愉快な人物であり、側近たちに対して大層気前が良かったと記憶している。
私は、とても風変わりなメガネをレイ・チャールズと彼の妻たちの一人であったアルレットの為に作った。彼は、ある時、電話の向こうから「ハッピーバースデー」の歌をララの為に歌ってくれた。

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エリザベス・テイラー(左)とベッティーナ・グラツィアーニ(右) 1985年 
Photo (C) BillyBoy*

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シュールレアル・ビジューのブローチをつけたベッティーナ・グラツィアーニ(右)とビリーボーイ 1980年代 
Photo (C) BillyBoy*

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ビリーボーイ作のメガネをかけたレイ・チャールズ 1988年 Photo (C) BillyBoy*

フレッド・ヒューズ(アンディ・ウォーホルのビジネス・マネージャー)は、アンディ・ウォーホルと共にやって来た。そして彼は、ビアンカ・ジャガーとパロマ・ピカソと、その他沢山の有名人たちに、シュールレアル・ビジュー・コレクションの作品を買うように薦めてくれた。フレッドとアンディは、アーティストたちを実に良くサポートしていたのだ。そして私に関して言えば、彼らは私の仕事を非常に応援してくれた。彼らは、人々を次々に他の人に紹介するのが本当に好きだったのだと思う。彼らは人々を賞賛によって持ち上げ、更に、アンディの特別ブランドのユーモアを織り交ぜて。
ニューヨークのホテル・モルガンズに私が一度滞在していた時、私はパーティーを開いた。その時、アンディは、私にクローゼットに入っているジュエリー・ケースの中にきれいに並べられている作品を見せるべきだと言った。私は、その時まで知らなかったのだが、実は、アンディが、ちょうどホテルに泊まっていたシェールを含む何人もの人々に来るよう呼びかけていたのだ。結果、それはジュエリー・パーティーとなった。そして全ての作品が売れた。私自身が首につけていたものまでも。平日の昼間に、そこでは誰もが皆、ジュエリーを試着し、カクテルを飲み、本当にすてきなパーティーだった。
ニューヨークにおいての他の事柄では、クライアントであったベンデルス(ニューヨークに拠点を置く高級ファッション店)の為に、ララはパリから大量のシュールレアル・ビジュー作品を送らなければならなかったことが思い出される。

リッチーとブリジット・ベルリン(アメリカのアーティスとで、かってのウォーホルのスーパースターの一人)は、2〜3回パリへやって来て、ララと私の行き付けの素敵なフレンチ・レストランへ皆で行った。そしてそこで、人々に喝采をもって迎えられた。二人は、私が最も愛するシュールレアル・ビジューのいくつかを買ってくれた。

プリンセス・グロリア・フォン・トゥルン・ウント・タクシス(ドイツの貴族女性。1980年代、パンク・プリンセスとして社会的アイコンに)は、魅惑的な高級宝石細工品(又、時には古代の王族が身に着けていた有名な宝石)を付けたドレスを着てやって来た。私たちは非常に上機嫌で楽しい時を過ごした。しかし、いつも彼女は請求書の支払いを放り投げてしまう。だが、最終的には、私はそんなことはどうでも良くなった。私たちが共有した楽しみは、ララと私にとってお金以上の価値あるものだったから。(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

トップの写真は、奇抜なヘアースタイルで舞踏会へ登場したプリンセス・グロリア・ファン・トゥルン・ウント・タクシス Princess Gloria Von Thrn Taxis。1989年。
Photo (C) The Telegraph
出典 https://www.telegraph.co.uk/womens-business/11098958


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2018年03月29日

ゲット・グルービー! Surreal Bijoux - Mdvanii 10

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii)の翻訳です。


ゲット・グルービー!

公式の発売開始は、有名なインテリア・デコレーション会社であるジャンセンの驚嘆すべきギャラリーで行われた。そこでは、コスチューム・ジュエリーの新時代:漫画チックでユーモラス、ポップでニュー・バロック、豪華でハンドメードと紹介されながら、1000個以上のシューレアル・ビジューがディスプレーされる。我々は、巨大な髪型にプラットホーム・ブーツを履き、私のコレクションから出したハックルベリー・ハウンド(米国で1958年から1961年まで放送されたテレビアニメに出てくる青い体色をした珍犬)のブルーのスパンコールが付いたマイクロミニ・ドレスを着たアフリカ出身の二人の美少女ゴーゴーダンサーたちをどぎつい緑色のキューブの上でフルーグ(1960年代に流行したダンス)を踊らせ、更にララのバンド「ララ&エモーションズ」のセクシーなドラマーであるマチューがメローイエローのポリエステル製ベルボトム・オーバーオールを着て、私の本物のクレージュのビニール製メンズ・ブーツを履き、私の為にアレクサンドル・ド・パリが作ったバーバレラという名のブロンドのウィッグを被り、彼自身のキューブの上でゴーゴー・ダンスを踊る、というショーを実施した。又、我々は、ヴォーグ・スタジオで映画を作る。それは、このイベントを見せるものであり、1トンのパールと私のジュエリーをまき散らした中で、先述のマチューのゴーゴー・ダンスに、1960年代の漫画、ミスター・マゴとマギラ・ゴリラのような古いモンスター映画や昔のテレビ・コマーシャルをコラージュした、本質的にミスター・モダン(ビリーボーイのこと)のカットアップ・アートワークであった。私は、フィルムを鮮明な色調のマーカーを用いてベルベット・アンダーグラウンドとビート・ジェネレーションのフィーリングになるようハンドペイントした。

このディスプレーは、ロイヤル通りにあるジャンセンの店舗のウィンドーの外に、3件のちょっとした自動車の衝突事故を引き起こす。店舗の中には、異常に大きな装身具のポラロイド写真を、アレクサンドル・ド・パリによるカスタムメイドのブロンドの1960年代スタイルのウィッグに、私がシュールレアル・クチュールで作った模造品のカウボーイ・ハットを被り、やはりシュールレアル・クチュールからのグリーンの手袋を片手に、オレンジ色のものをもう片方の手にはめ、そして60年代スタイルを演出するダークなレイバンのサングラスを掛けた私の大きなポートレートの前にばら撒いた。そして、私の新しいモットーである「ゲット・グルービー!」と署名が壁一面にべたべた貼られた。

ハンドメードのレジン製作品・・・フラワーパワー・ネックレス、バロック十字架、ヒエログリフ風のシンボルたち、グーン(ビリーボーイのシンボル)、そしてラインストーンの歯が付いたモンスターたち。それらは、無造作にガラスケースの中にアレンジされ、私は、それがデイジーダック(ドナルドダックのガールフレンド)によって創作されたジュエリーのように見えると思った。シュールレアリスティックにインスパイアーされた形とモチーフ、目、鼻、ハンド・オブ・ザ・ファティマ(手のひらの形をしたお守り)、そして1940年代風の装身具が中核的なテーマであった。

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写真上段右:ジャック・シャゾー(パリ社交界の有名人。バレーダンサーとして多くの功績を残す。) 中段左:ティエリー・ミュグレー(左)とビリーボーイ。中段右:イヴ・ナバール(フランスの有名なゲイ作家。ゴンクール賞を受賞。)下段左:アリエル・ドンバルス(フランスの有名女優)とベッティーナ(伝説的ファッションモデル)下段右:ビリーボーイ・ジュエリー 1985年10月 Photo (c) BillyBoy* & Lala

私は、このエキシビションに、紫色のタイツに黄色のホットパンツを穿き、エレクトリック・ブルーの1960年代のビバのフェイクファー・ジャケットを着て、運転手付きの1950年型のメルセデスベントに乗って会場へやって来た。私は、かなり強烈なショッキング・パヒュームの匂いを放っていたと思う。私の髪は、アレクサンドル・ド・パリによって緑色に染めていて、本物のオニユリの花を髪にさし、黒いレイバンのサングラスを掛けていたのだから。レイバンは、私が身に着ける重要なものであり、1980年代中、至る所で、それを掛けていた。恰好良く見せる為ではなく、私の目が必要とする暗さを得る為にであった。

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 ジャンセン会場のビリーボーイとララ 1985年10月 Photo (c) BillyBoy* & Lala

このエキシビションは、実際に「ゲット・グルービー!」と呼ばれ、案内状には私が書いた分かり難い詩が掲載されていた。

そう、あなたは思いめぐらすだろう。「今は、いったい何時なのか?」と。
それでは、私に語らせて。
パリ;とても暑い・・・・・・・、ジャン・パトウは辛辣なトリップの上に。プラットホーム・シューズと下げたウエストラインのフラッパー・ドレス。
アレクサンドル・ド・パリのウィッグ、ウィッグ、ウィッグ。
レオン・バクストはジャニス・ジョプリンとディープなセッションを行い、彼は本当に突っ込む。
私が何を言いたいのか分かるだろうか?それは、1925年と1965年と1985年。
アイロニーとタイムワープ。あなたは、バルマンの「ジョリ・マダム」を聞いたことがある。そう、これは「ジョリ・タイムワープ」だ。
踊りを誘うティー。モータウン。ジェームズ・ブラウン。すごいインパクトのイタリアン・デコ。
私はモデスティー・ブレーズでもなければ、ガブリエル・シャネルでもない。
私はディアギレフでもなければ、ニジンスキーでも、ロッド・スチュワートでも、ポルナレフでもない。
ビバ・ノバは最高にクールで、ノリノリのところだ。
カラーとスケッチ風、幻想的な靄のような動く装身具から、「マン・イン・ザ・マリーゴールド」(米国の劇作家であり科学者でもあるポール・シンデルの演劇)に、エレクトリックなクールエイド(米国の子供向け清涼飲料)のすっぱい味わいのハイライトへ。
虹と蝶々、デージーとドラゴン、小鳥と魚、そしてペルーとグーンのヘッド?
フレッド・フリンストーン(1960年代米国のテレビアニメ映画の主人公)は、ゴンチャクロバに恋して、頭からヒールの上に落ち、彼女のラディシュのイヤリングを見つける。そしてヤバ・ダバ・ドゥーベリー(1960年代米国のテレビアニメ映画)。
ナンシー・ミッドフォード(英国のレズビアン作家。1904年〜1973年)は、ジョシーと結婚する。惑星間空間の女性たち。彼女たちは、プラットホーム・ブーツ・サロンとウィッグの商店をアルゴンキン(北米先住民の一種族)クラブにオープンする。さあ、そこへ行こう。ゲット・ブルービー!

ジャンセンの現場において、アバンギャルド・アクセサリーは完璧に見えた。そしてショーは偉大な成功を収めた。(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

トップの写真は「クッキー・モンスター Cookie Monster 」と名付けられたレジン製のブローチとイヤリング。ラインストーンの歯が付いているモンスターたちである
Photo (c) Sumiko Watanabe

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2018年02月04日

シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ(9) Surreal Bijoux - Mdvanii 9

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニイへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii)の翻訳です。


パリ オートクチュール職人たちに支えられて

シューレルレアル・ビジューは、ガラス製のビーズや、100年近く昔から続いているパリのオートクチュール産業における偉大な名前を持つ伝統的な職人たちの何人かが作ったハンドメードのガラスによる構成部品を素材として使っていた。その中のいくつかは、「パートドヴェール」という伝統的なガラス工芸技法により作られたものだった。1980年代は、フランスにおいて、職人たちが、この技法を駆使していた最後の時代だったと言える。私たちが使った「パートドヴェール」のビーズは、当時、マレー地区に住んでいた年配の女性によって作られていた。それらはとても美しかった。不透明な白いガラスの中に見える小さな雫のような目、そして片側に笑顔、もう片側にはふくれっ面が見えるような・・・・、それらを私は「宇宙から着た細菌たち」と呼んだ。

「アリババ」コレクションのために、私は、金箔又は銀メッキを施した形の中に、それらのガラス・ストーンを挿入したものをデザインした。それらは、派手な1980年代においてさえも、トゥーマッチに見えた。
アンディ・ウォーホルは、いつも、私の作品を身に着けてくれ、そして「ジャンヌ・ダルク」と名付けた最初の金属製のコレクションもお気に入りだった。そして彼は、それらのいくつかに不朽の名声を与えてくれた。

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        「ジャンヌ・ダルク」ネックレスを身に着けたアンディ・ウォーホル

私たちはレギュラー製品に使う事を意図して、特別な金属モールドを創作した。しかし、私たちのデザインがあまりに多く、金属モールドの使用は限定的なものとなり、別の方法へ直ぐに変えられた。オートクチュール・アクセサリーを作る職業において、私たちが当時行っていた職人たちが使った伝統的なメソッドと素材を求めたのは、私たちの他に殆どいなかった。私たちは、ジュエリーを入れる箱さえも、ディオールやシャネル、バレンシャガのために箱を作った同じメーカーに頼んだ。私たちは、パリに存在した最も有名な、最も古い流派の職人たちと共に仕事をしたのである。例えば、メゾン・グリポー(私は、オートクチュール・アクセサリーの女王として君臨したマダム・グリポーのファミリーを1970年代から知っていた)、メゾン・ジャンヴィエール、メゾン・デリュのデリュ氏、あらゆるタイプのトリムと帽子に関連する部品で知られるメゾン・ミシェル、素敵なストーンで知られるスワロフスキー、そしてメゾン・レマリエのレマリエ氏、彼は私たちに羽根を制作してくれた。そして沢山の沢山の他の職人たちがいた。私は、こうしたチャンスに恵まれたことをとても嬉しく思う。なぜなら、それらのメゾンの多くは、1990年代に徐々に閉鎖され、あるものはシャネル社に買収され、その一部となり、又、デリュやグリポーのように商業化したものもあり、パリにはもはや以前のような古い流派の職人たちの居場所はなくなった。彼らの極少数は、縮小され変形されて生き残ったが、殆どの職人たちは消滅した。

シュールレアル・ビジューが非常に影響を受けた、このようなクラシックなフランスのオートクチュール職人たちに感謝したい。
私たちの作風は、ファッション・ジュエリーの最も商業的な製造や、数少ないがオートクチュール・ハウスにさえも、コピーされた。装身具の殆どの各側面が、コスチューム・ジュエリー産業に影響を与えた。形、テーマ、様々なスタイル、レジンという素材の使用、シュールレアリスティックな出典、その他多くの側面が。それは、ファッション分野のいかなる種類の商売をやっていた人たちにもビッグ・ビジネスをもたらした。

沢山の方法において、シュールレアル・ビジューは、その製品にスキャパレッリとの会話的要素を持っていた。あるものは、直接的に彼女のジュエリーからインスパイアーされた。例えば、コットン・ニットでできた「脚」のネックレス(半月系のコットン・ニットに金属製の小さな脚が沢山ぶら下がっている)のように。これは、スキャパレッリの1941年の作品、ウール・ニットに沢山の脚がぶら下がった「奉納品」ネックレスへの直接のオマージュであった。私のモチーフ、形、そしてテーマは異なっていたかも知れないが、それらへの手触りと感覚は同一だった。それらは、常にユーモアのタッチのある艶やかさを表現しており、ギミックではなく、シックさへの声明であった。

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フューシャピンクのコットン・ニットに金属製の小さな脚がぶら下がった「小さな脚たち」ネックレス(SW JAPANが国内で販売したもの)


当時のジュエリーは、全体として、シュールレアル・トレンドに寄り添うラインであった。
私たちのジュエリーが、1980年代のアクセサリーに影響を与えたように思える。カール・ラガーフェルドの椅子の形をした帽子から、ピエール・カルダンのルネ・マグリットからインスパイアーされた足の形をしたシューズ(因みに、彼とベッティーナは最初の一足を私に提供してくれた)。それはあたかも、私がスキャパレッリの芸術的感性を新解釈し、それをファッション・マップに置きなおしたからのように思えた。(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

トップの写真は、「ジャンヌ・ダルク」ネックレスの一作品。1986年制作

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2018年01月05日

HAPPY NEW YEAR 2018

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謹賀新年


新年のご挨拶が遅くなりましたが、イヌ年に因んで、ビリーボーイとララ Billyboy* & Lala の愛犬「ドゥーキー Dukey 」(写真手前の犬)と「ジッパー Zipper 」(ブルドック)の写真をアップしました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

SW JAPAN 渡辺純子

Photo (c) BillyBoy* & Lala 2018. All rights reserved.

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2017年12月28日

シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ(8) Surreal Bijoux - mdvanii 8

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI)より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニイへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。


チーム・メンバーたち

シュールレアル・ビジューのオリジナル・メンバーは、ララと私以外4人のスタッフで構成されていた。
ジェーン:私のアシスタント。彼女は非常にうまくジュエリーを身に着け、どこへでも私に随行した。
ビル・アンダーソン:彼はララの友人であり、背の高いアメリカ人。ペインターとして才能を発揮し、とても好人物だった。
シャンタル:彼女はララの高校時代の仲良しであり、彼女の父親がコミュニストだった。彼女はララのアシスタントで、総合的な秘書としての役目を担った。
ナタリー:彼女は、マドンナの「スーザンを探して」(1985年のアメリカのコメディ映画)のマドンナとそっくりだった。全てにおいて無知。私は何故ララが彼女を雇ったのか手がかりがない。しかし、彼女は魅惑的でユーモラス、しょっちゅう色々な事に関して面白いコメントをパリジャンのスラングを駆使して発した。ララは結局、2〜3ヶ月後に彼女を首にしなければならなかった。というのも、彼女はロサンゼルスに住んでいたボーイフレンドへ頻繁に長距離電話を掛け、そして彼女は激しく否定したが、トイレでドラッグをやっていたからだ。ある日、私がアメリカかロンドンからの旅から帰ってきた時、彼女は、もはやそこにはいなかった。

その後、すぐにララはパリのジュエリー・スクールから来た新しい3人をスタッフに迎えた。彼らは学校で習得したスキルやテクニックを持っていたが、そこでは教わることができなかった何かをシュールレアル・ビジューを作るために適合させねばならなかった。全てがハンドメード。ララによって作られるプロトタイプからの金型でさえも。
ユゼフ:彼はカビール(アルジェリアの高地地方)出身で、私たちのアトリエで働いた。彼について、私たちは前もって唯一、ある有名な高齢男性作家が遊び道具にしていた青年の従兄弟であるということのみ知っていた。ユゼフは本当にチャーミングな人物であり、優しくて、親切、ユーモアがあり、優秀な仕事人だった。そして、彼は多くの技術的な問題の解決方法を見出した。彼は長年、私たちの為に働いてくれた。

私たちは沢山のアシスタントを持ち、彼らは皆快活だった。
かなり陽気で少し腕白なスティーブという名の若者は、とても背が高く、ブロンドのロングヘアーのアメリカ人。彼は、『シャンバラ』(理想の仏教国)に於ける北欧のエイリアンといった感じだった。しかし、彼は実際とても腕白な若者で、私を容赦なくからかった。アパートに隠れていて、突然、私を目掛けて飛び出して来たり、私が受け取った手紙に、楽しい返事を書いたり・・・・・。彼は私の通信係だった。そして、秘書を含む幾つもの仕事をこなした。又、必要な時には、私に成り代わって電話で応対してくれた。
ララと私の周りには、沢山の素晴らしい、そして、とても可愛い、いつもお洒落な恰好をしたフランスの若者たちがいた。そして各人が何か特別な才能を持っていた。

ジャッキーは、ブルネットの髪をした若者で、非常に良く働き、チームにとってとても信頼のおける人物。彼は常に冷静で、思いやりがあり、感じが良かった。
ジャン・マルクは、全く驚嘆すべきフランスの若者であり、ポップアート・カルチャーとフランスの芸術文化に精通していた。彼は『キャンプ』の権化であり、ニューヨークの「ザ・ハウス・オブ・アビアス」の舞踏室シーンの一部と言っても良い程だった。彼は長年、私たちの為に働いた。そして彼のボーイフレンド、黒縁のメガネを掛けた愛らしい若者は、私がショーや展示会を行った時、手伝ってくれた。彼らは私とよく旅行もした。私は今なお、彼とは友達である。
エドワード・ヘミングウェイ:有名な作家の孫息子だ。意欲的なアーティストであり、当時、私たちのチームに良いフィーリングをもたらした。その後、彼は素晴らしいドローイングに専念し、又、子供向けの本の仕事をするため、チームを離れたが、彼と私は、今なお、変わらぬ友人である。
それからリッキー。彼は歩く英語と映画文化の辞典のような人だった。そして彼はランチをこよなく愛していた。なぜなら、美食家だったから。ノルマンディーの我が家において、彼は、ララがランチの為に作ったフラン(チーズクリームと果物などを詰めたリング状の底のないタルト)や様々なチーズ料理に舌鼓を打った。彼は私の秘書であり、友人だった。

年月を超えて多くの人々が私たちの周りにいた。そして私は、彼らの殆どと相変わらず友達である。彼らは皆、本当に素晴らしい何かを私たちのチームにもたらしてくれた。(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

トップの写真は、ダリからインスパイアーされたスキャパレッリの帽子を被ったビリーボーイのアシスタントだったジェーン(1984年にパリのモードとコスチューム美術館で開催されたスキャパレッリ展の図録より)

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2017年12月11日

シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ(7) Surreal Bijoux - Mdvanii 7

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI)より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ」(Surreal Bijoux - Mdvanii)の翻訳です。

パリのラペ通り

ララと私は「ビリーボーイ・シュールレアル・ビジュー」BillyBoy* Surreal Bijoux と名付けたアトリエ、オフィス、ショールームをラペ通り6番地にオープンした。そこは、かつてスキャパレッリがパリで彼女のキャリアをスタートさせたラペ通り4番地のすぐ近くであった。私たちの新しいアドレスは、カルティエ、ブシュロン、メレリオ・ディ・メレー、ヴァン・クリーフ&アーペルといった高級ジュエリー店が立ち並ぶ通りであるという素晴らしいロケーションだった。コスチューム・ジュエリー・デザイナーが、あえて、この特権的な地域に店を構えることは、かなり厚かましい。

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仕事部屋は2階にあり、古いパリ様式の階段を上って行かねばならなかった。何の装飾もない、只4つの部屋だけ。しかし、それを手に入れたことは信じられないようn幸運であり、私にとって、スキャパレッリからの時空を超えたウィンクのように思えた。私たちは、これらの部屋を黒と白のリノリウム・タイル、少しぐらつくアールデコ・テーブルとイスなどで飾った。僅かにアンティークな雰囲気で、変打法的。又、初期のイケアの家具も、何故なら、それらの黒い机は、スキャップ(スキャパレッリのブティック)のスタッフがかつて使用していたものを連想させたからだった。(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

トップの写真は、ビリーボーイが1980年代後期に制作した「メエ・ウエスト」と名付けられたネックレス。

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お知らせ
ビリーボーイの肉筆絵画「未来の内観的ミドヴァニィ女性たち」THE INTROSPECTIVE MDVANII WOMEN OF THE FUTURE のセールをいたします。
ご興味ある方には、カタログをお送りいたしますので、当ブログ管理人までご連絡ください。

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2017年11月25日

シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ(6) Surreal Bijoux - Mdvanii 6

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI) より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィまで」(Surreal Bijoux - Mdvanii) の翻訳です。

カラフルで皮肉たっぷりのガラクタがインスピレーションを与えた

私たちの仕事には、様々なものからの影響が満ちていた。多くの1960年代ポップ・カルチャーとの関連がある。例えば、ファニーフェイスの飲料キャラクターのグーフィ・グレープとチュウチュウ・チェリー、トロール・ドールズ、ガンビィとポーキーズ、スー博士と彼の世界など。又、素晴らしくキュートなハスブロ玩具社の「ペティーナ」(プードル犬のファッションドールで、イブ・サンローランのモンドリアンドレス等お洒落な衣服を着ていた)、そして「マイ・リトル・ポニー」のフィギュアたち。ハンナ・バーベラ漫画ショー・スタイルの厚紙でできたドールハウス「フリンストーン・ハウス」の陽気でキャンプな雰囲気。そして、ルーブ・ゴールドバーグ・スタイルのネズミ取り罠ゲームは、私たちの創作品に奇妙な新しい方法の型を運んできた。様々な場所、全ての時代、どこででも、至る所からのカラフルで皮肉たっぷりのガラクタは、等しく、私たちに創作の霊感を与えてくれたのだ。

世界的に賞賛されていた馬を専門とした畜産家であったアレク・ヘッドに、光栄にも、ノルマンディーにある彼の有名な馬小屋でランチをご馳走になった時、私の創作魂は、ヘルメスのものとはどこも似ていない一風変わった女性騎手(サーカスで馬に乗って曲芸する芸人)に関連するイメージを捉えた。

これらの美しい物事の全てが、熟考され、冗談をかわし、そして、それらは愛情に満ちた、持続性の高い方法によって、あらゆる性質の物の中へ形作られ、容易には理解できない思考のひとつの大きな混合の中へと包み込まれたのだった。シックというテーマは、又、遊びの中からやって来て、変化するイメージの辛辣なトリップの中に歪められて包含される。私たちの創作にとって、大き過ぎる、飾り立て過ぎる、奇妙過ぎるものは何もなかった。私たちの作品を見て、最初のショックが消えた後、人々は私たちの仕事を理解してくれたように思えた。それが本当であろうと、何であれ、私は幸せだった。多分、この時代は、このようなクレージーな物が、世界中のアーティストと職人たちによって作られ、価値を認められた最後の時代ではなかったかと、私は思う。今日、ダークな考えが全ての領域で幅を利かせているが、私たちの作品は、昔も今も、非常に大きなポジティブな波動を送っている。なぜなら、それらは幸福と愛によって作られているからだ。そこには、時々、悪意や悪魔との関連があるかも知れないが、それは、ちょっと、仄かにスパイスを使ったようなものである。(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

トップの写真は、"Safe Sex" (セーフセックス)と名付けられた1987年〜1988年の作品。ニューヨークのバーニーズの展示会の為に制作したもの。

Photo (c) BillyBoy* & Lala 2017. All rights reserved.

ビリーボーイのコスチューム・ジュエリー作品5点が、先日、クリスティーズのオークション「ジュエリーとしてのアート」に出品され、ロンドンのプレスで大評判でした。以下のサイトをご覧ください。

http://www.townandcountrymag.co.uk/style/accessories/christies-launches-art-as-jewellery-sale

http://www.vogue.co.uk/article/a-warholian-tale-of-art-as-jewellery

Mdvanii and all related names and the name of BillyBoy* is the sole copyright and trademark of BillyBoy*, and used with permission click on this link for all copyrights information.

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ミドヴァニィに関する公式サイトは以下のものです。

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2017年11月16日

シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ(5) Surreal Bijoux - Mdvanii 5

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI)より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィまで」(Surreal Bijoux - Mdvanii)の翻訳です。


オーブンでジュエリーを焼く

我が家のオールド・ファッションのキッチンで、私たちはジュエリーを作るための真新しい実験をしていた。それは、より装飾品やオブジェ、グリ・グリに関連させた方法によってであった。最初、プラスターを使った。そして、それを、画家スーラが絵を描いていた地として知られるパリ近郊のブージヴァルのイル・ド・ラ・ジャットにあるチャリティー・ショップ「エマオ」で、最初の道具として購入したスイスのルレーブ・オーブンで焼成することを試みる。その結果は、私たちが意図したものにはならなかったが、焼き上がったプラスターは何とも可愛らしく、面白い質感が出ていた。このオーブンでジュエリーを焼くということが、プレスや、私たちの製品のファンから魅惑的だと注目され、ジュエリー制作についての一種の神話が生まれた。

私たちは、ジュエリー、オブジェ、像、そして装飾品といった各ジャンルの間を漂うような、言葉で言い表せない変わった一点もののアイテムを作り出すために、人造宝石やラインストーン、木、偶然見つけたもの、ガラス、金属、やや高価な石、そして貴石など様々な素材を使った。私たちは、クリニャンクールの蚤の市によく通ったものだ。この驚嘆すべき場所には、全ての種類のビンテージ・ビーズが沢山あり、ルーマニア人の姉妹によって売られていた。その品揃えの多種多様性にはビックリさせられる。又、ビーズと小石は、ゴブレット(小さなプラスチックのカップ)に一杯で幾らというように売られていて、お客はゴブレットに好きなビーズや小石を選んで入れる。あっという間に、誰でも、この宝捜しの為にコインを使い果たした。私たちはジャムのジャーを持って、そこに頻繁に出かけて行き、それに一杯になるまで宝物を買い漁ったものだ。因みに、このジャムのジャーには、過去数十年を通して使っていた貴重なストックが入っていて、それらを組み合わせることは本当にスリリングであった。そしてそれは、私たちの創作における重要な役割を担ったのである。(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

トップの写真は、"Rakham Le Vert" 「緑色のラクハム」と名付けられた様々なビーズや小石をつかったペンダント・ネックレス。「ラクハム」とは、フランスの人気コミック「タンタン」に登場する海賊の名前。海賊の刀をイメージした作品。

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2017年11月05日

シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ(4) Surreal Bijoux - Mdvanii 4

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ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI)より、第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィまで」(Surreal Bijoux - Mdvanii)の翻訳です。

「モダニズムはとっくの昔に死んだ - ビリーボーイの構成主義・超シュールレアリスム宣言

当時、私は、西洋社会の一員である私という人間の本質が、着用する人を不吉なことから守り、光と愛の極致を求める人を励ます「グリ・グリ」やお守りや魔除けの利用の仕方を忘れてしまったと感じていた。そして、そういう力を持っているのはお守り自体ではなく、その物を作る精神なのだと、私は信じた。そしていまでも相変わらず、そう信じている。私たちは不思議な力を持つ。私たちは、それらの願望を伝えるエネルギー体なのだ。

私は同時に、又、私たちが生きているこの時代、1980年代初頭が、「モダニズム」の誤った考えによって鈍くなっている事実に気づいたことをララに訴えた。1910年代に生まれ、1940年代に絶頂を迎えた「モダニズム」の概念は、既に何十年も前に死んだということを誰も語っていなかった。そうではないか?コスチューム・ジュエリーは、安っぽい金メッキによる決まりきったやり方で作られるようになり、鈍感で平凡なものになった。そう、私は、人々にそのことが理解され、よく知られるように、私の制作方針をより明らかにし、魔術崇拝的な装身具やお守りのコンセプトを作ることを試みる。私は、自分自身が「ザ・サマーランド」にいて、それらを身に着けているのを想像した。こうした想像の中で、私は実に子供っぽく、真剣だった。しかし、それは私の心の底からストレートに湧き出て来るものであった。

私はシュールレアル・クチュールで、相変わらずアンティークの服を着て、ヴィンテージ・ドールを収集していた。又、私は相変わらず、いつもフォーカスしている全ての興味あることをやっていた。それらは「ビリーボーイの構成主義・超シュールレアリスム宣言」の拡張として。しかし、又、それを発展させたバージョンであり、私の人生において最初の本当の愛を込めたものとして。それは私にとって素晴らしいことだった。なぜなら、私が作った物にコンタクトしてきた人々の正しい理解が、それはあたかも、世界が一歩一歩良い方向へ変化して行くように感じられたからだ。又、私は、ソウルメイトであり、偉大な変革者であるパートナーを持っていた事実に、スーパー・ハイな状態になっていたと思う。それは、私にとって、これまで一度も経験したことのない感覚であった。(渡辺純子 訳)
次回へ続く。

トップの写真は、ビリーボーイが1986年に制作した「ベトラヴィサン」"Betteravissant" と名付けられたネックレス。意味は「うっとりするようなサトウダイコン」。

◎只今、クリスティーズのオークションで、今回の写真の作品を含むビリーボーイのコスチューム・ジュエリーが数点出品されています。アーティストが作ったコスチューム・ジュエリー特集であり、パブロ・ピカソ、カンディンスキー、サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト、その他の作品も。
以下のサイトでご覧になれます。

https://onlineonly.christies.com/s/art-jwellery/billyboy-b-1960-4/50152

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