2017年10月12日

シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ(1) Surreal Bijoux - Mdvanii 1

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昨年12月に発刊されたビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリの研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI)より、当ブログの読者の皆様に最も関心を持っていただける第15章「シュールレアル・ビジューからミドヴァニィまで」(Chapter 15 Surreal Bijoux - Mdvanii) のオリジナル・テキストを、ビリーボーイの許可を得て、今回より38回に渡って翻訳することにいたしました。

パートナー、ララとの出会い

私は1978年にニューヨークからパリに移住し、そこでパートナーのララと出合った。そして、彼との関係によって得られた新しい確信に力を得て、パリでの新しい生活を構築して行った。絵画や彫刻、アクセサリー、衣服のデザインを、過去のフィーリングをはるかに凌ぐスリリングな熱情で再開する。市場向けの製品を作ることは念頭になかった。なぜなら、そこには私の非常に強い自己解放の意図があったから。私は又、私が作る衣服と絵画を結合させた混成物を作るプロセスを研究することに喜びを感じていた。そして、この時代の私の仕事はアートのようなものだと自信をもって言い切れると感じ始めていた。作った衣服を引き裂き、それに絵をかき、それらを叩き切って、あたかも遺伝子組み換え操作をしたように縫い合わせる。それらを一緒にすることにより、異様なエンジェルが生まれ、私はそれを無鉄砲に着ていた。それらは時に、私の身体を覆いきれなかったこともあった。そんな私の姿は、メディアによく知られるところとなり、いくつかの論拠のある言葉とともに、私が無頓着な屈託のない人気者だということが発信され、それは驚いたことに世界中に伝えられた。又、当時のプレスの表現に従って言えば、明らかに私は周りの世界を全く気にしない、人形やアート、オートクチュールの収集に陽気に遊び騒ぎ、自分自身をエンジョイしている人間だと。これは半分当たっている。私は、ついに、正常な、自分に良く適応させたと思える生活を手に入れたのだ。しかし、それは決してニルバーナとか、おとぎ話の類のものではなかった。ララは、人々の私に対するリアクションを観察するのを楽しんでいたと言う。又、彼は、メディアが私のことを「漂っている男」というのを聞くのが好きだった。それは本当だ。だが、メディアが私の思いのたった一つの真実さえも捉えたは一度もない。只、彼らは、私がフランスのアートとオートクチュールのアイコン的な過去に関連する魅惑的な人たちと一緒にいるのを見ていた。

ところで、皆さんが信じようが、信じまいが、私には際限のない治療を必要とする生まれつきの持病がある。それは、私が殆どの人と決して心を分かち合えない何かの問題を抱えていることだ。それが原因で、私は無関心で無頓着な人間だという評判がたったのだと思う。プレスは又、しばしば私について、パリのアンティーク・フェアや三大蚤の市であるポルト・ド・クリニャンクール、ポルト・ド・ヴァンヴァス、ポルト・ド・ミロメンシルに足しげく通っていることを伝えた。そして沢山のプレスがパパラッチ・スタイルで、パリとその郊外にある全ての素晴らしい古物商や中古品店で、ひっそりと埋もれている、例えば珍しいファブリックとレースでできた聖杯などの掘り出し物を見つけようと夢見ている私を写真に撮ろうとした。こうしたプレスの私への注目と関心は、当時の私には少々愚かしいものに見えた。それは私の気持ち次第であったが、私は浮かれ騒ぐか、あるいは又、単に彼らの行為に侵略的なものを感じ、私を不快にさせた。

比較的短い期間であったが、ララと私は一緒にアートワークと装身具類を制作した。そして、私たちは本物のカップルと認められ、私たちの作品は世界中の有名人を含むあらゆる種類の人々から求められるようになった。しばしば私は、本や雑誌で読んだり、映画のスクリーンで見た人々と実際に会うようになり、そうしたことにワクワクしたものだった。そして彼らから、私が何をしているかとか、私が他の誰にも似ていないという事が語られた。そんな事どうでもいいのに。ゲェー、もう聞き飽きた。私が、こうした回想に少しばかり苛立たされるのは、自分のユニークさがそれ以上のものであると思っていたからではなく、この時代の思潮に明らかに無関係なことをしていたからだった。それは、大抵の人が「奇妙な」と呼ぶものだった。しかし、それは、私たちの創作的な結合から生まれたものであったから、誰かにとって奇妙に見えたかもしれないが、私には何の意味も持たなかった。私たちの創作的な仕事は、私が過去にダリの信奉者として自分の魂の奥底へ旅した時よりも、この上ない幸福な美へと向かっての学習であった。私の無関心さにも拘わらず、ララは人々やプレスのリアクションを楽しんでいた。
当時のメディアが伝えた私についての報道が本当に価値あるものであったかどうか、私には言えない。実際、私は時代を気に留めないし、社会とその虚飾から遠く離れて漂っていたと、明言できる。人々が私のことをどう見ようが、私は自分の外の世界からはっきりと距離を置いていた。私は、これまで生きてきた世界、これまでの私のプライベートな生活から脱出するために、大量の仕事が必要だった。(渡辺純子 訳)

次回へ続く

トップの写真は、ビリーボーイが1985年に制作した「エデン」と名付けられてコスチューム・ジュエリー作品。
Photo (c) BillyBoy* & Lala 2017. All rights reserved.

Mdvanii and all related names and the name of BillyBoy* is the sole copyright and trademark of BillyBoy*, and used with permission click with on this link for all copyrights information.

http://www.fondationtanagra.com

ミドヴァニィに関する公式サイトは以下のものです。

http://www.mdvanii.ch/en/mdvanii/
posted by sumiko at 18:26| 東京 ☀| Comment(0) | BOOKS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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