2017年10月18日

シュールレアル・ビジューからミドヴァニィへ(2) Surreal Bijoux - Mdvanii 2

  image3 for blog.jpg

前回に引き続き、ビリーボーイの自叙伝的スキャパレッリ研究書「フロッキング・ライフ」(FROCKING LIFE SEARCHING FOR ELSA SCHIAPARELLI)より、第15章「シューレアル・ビジューからミドヴァニィまで」(Surreal Bijoux - Mdvanii)の翻訳です。

エイズの恐怖

真に私が考えていたのは、自分の仕事が何よりも、誰が思うよりも、高いところを目指すということだった。ララと共に私は一層やる気に満ちて、まるで一心同体となって邁進した。それは、初めて味わう満足と挑戦と幸せの深い感覚だったと思う。万事がうまく行って、面白く、心配事など一つもなかった。

只、勿論、私は相変わらず精神安定剤の「バリアム」を飲んでいたし、時折リッツやハリーズ・バー、マレー地区の新しいゲイ・エリアにある新しいゲイ・カフェの片隅で、カクテルを飲んで酔っ払いフラフラになっていた。それは私にとって本当に素晴らしい時間だったが、それは同時に、エイズという新しい災難の恐怖と隣り合わせでもあった。そして私は、この時代の中心的な話題であった破壊的な恐ろしい病気の存在に、シュールな雰囲気を感じていた。又、この病気について大部分を義理の弟から教えてもらい、その逃れ難い苦境のドミノ倒しの様な直進する時間を感じた。私はララに「直進する時間が、その忌まわしい時間自体をすっ飛ばして進んで欲しい」と言っていたものだった。というのも、エイズという時代を震撼させた病気についての多様なレベルの理解の仕方が評価されなかったのと、その窮状がとても直進的で永続的に思えたからからだ。シックな黒い服を着てディスコへ踊りに行っていた人たちが、急に喪服の黒い服を着るようになるという、直進的な終わりのない測り知れない悲しみに、本当に絶望を感じた。ディスコは消滅した。耐え難い突然の死。沢山の最愛の友達や、各分野の魅力的な専門家だった知り合いたちが次々に死んでいった。そして、それらは私の心に絶えることのない制作上の主題を作った。

ゲイ活動家である私の義理の弟、ディディエ・レストラード(ララの実弟)、彼は私がエイズ撲滅運動の活動に参加しない理由について不平を言った。私は、体力的に、彼がしていたような闘いに耐えられないことを知っていたからであり、しかし、全く別の方法で、私はそれをやっていたのだが。彼には、私が能天気な人間に見えたようで、それが彼をイライラさせたようだった。後に彼は、数冊ある著書の一つの中で、当時、私といかに付き合うか葛藤していたことや、彼が兄のララを敬慕していたこと、そして私がララを幸せにしていたことなどが、とても明るく語られていた。次回へ続く。(訳 渡辺純子)

トップの写真は、ビリーボーイが1989年に制作した「デム・ボーンズ」(Dem Bones)と名付けられたネックレスとイヤリングとブレスレットの3点セット作品。

Photo (c) BillyBoy* & Lala 2017. All rights reserved.

Mdvanii and all related names and the name of BillyBoy* is the sole copyright and trademark of BillyBoy*, and used with permission click on this link for all copyright information.

http://www.fondationtanagra.com

ミドヴァニィの公式サイトは以下のものです。

http://www.mdvanii.ch/en/mdvanii/
posted by sumiko at 18:35| 東京 ☀| Comment(0) | BOOKS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。